感想2「不登校 その時親は」

今、自分にできることがそこにあった

 高1だった長女が不登校になって、初めて親業を知りました。娘の不登校から10年以上経った今、こうして振り返ってみても、不登校というのは、娘にとっても私にとっても葛藤の連続で、出口が見えにくく、本当に辛いものでした。

 その頃の娘は、泣き叫ぶ、暴言を吐く、兄弟にあたる、起きられない・・・。情緒不安定で、体調不良もあり、言葉のキャッチボールができない状態でした。

 

 そんなときに、親業の講座を受けました。親業の考え方を知ったことで、今までいろいろ意見を言っていたのをやめて、まず黙ることはできました。そして、娘の心が荒れてすさんでいるなと感じるときには能動的な聞き方で、「苦しいんだね」「辛いんだね」とくんだ気持ちを言葉にしていきました。とはいえ、我が家の場合、心のかけ橋はすっかり壊れていましたから、すぐに手応えがあったわけではなく、「うるさい」「あっちに行って」と言われ続けていました。一朝一夕というわけにはいかなかった・・・。時間がかかりました。壊れるのに何年もかかったとしたら修復にも時間がかかるのだと思います。 

 でも、会話がすぐに成立しなくても、私が娘の気持ちを理解しようと努め、それを言葉にしていったことで、その言葉は確実に娘の耳に届いていました。“あなたのそのモヤモヤを理解しようと思っているよ。そのモヤモヤを含めてたあなたを受け入れようとしているよ”“あなたとの関係を作り直したい。サポートしていきたい”という気持ちが、能動的な聞き方を通して娘にも伝わっていき、徐々に娘も心を開き、本音を語るようになっていったのです。

 

 長女が学校に行けなくなったとき、私は最初その事実を受け入れられませんでした。娘が学校に行けていないことを後ろめたく思い、他の人に隠したりしました。ママ友とランチに行っても、周りのママと気持ちの隔たりを感じ、孤独でした。娘本人が一番辛いのだと分かっていても、私も苦しかった・・・。

 そんなときは、自分で自分を受け入れて分かってあげることが救いになりました。自分の対応が不登校を招いたかもしれない・・・と思ったとき、「ダメな親だ」と自分を責めるのではなく、「自分のせいで不登校になったんじゃないかと思って、苦しいんだね」と能動的な聞き方で自分の辛い気持ちを自分で受け止めてあげることで、ホッとできました。

 また、娘の行動が受け入れられないときには、“親だって嫌だと感じていい”という親業の考え方を思い出し、正直に自分を見つめ、何でこんなにモヤモヤするんだろう・・・とわたしメッセージを作ってみました。そうすることで、自分で自分を分かってあげることができ(実際に娘に伝えるかどうかは別にして)、自分を不必要にいじめずに、大切にしてあげることができました。まず、私が自分を大切にしたことで、娘に対して向き合うゆとりも生まれたのだと、実感しています。

 

 あの時ああしておけば良かったと過去を悔やんだり、これからこの子は一体どうなるんだろうと未来が不安になったり・・・。娘が不登校のとき、親業を学ぶ前は過去と未来にしばられていました。でも、親業には“今ここ”で自分ができることは何か・・・と考えていくためのツールと具体的な方法がありました。「今、自分にできることがそこにあった」それに救われました。

 その時々の“今”に向き合って、自分でどうするかを選んで対応していく、その対応の積み重ねで薄皮を一枚一枚重ねるようにして、徐々に娘との関係を紡いでこられたと思っています。

 

HRN2018秋号より

 

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